広島でお茶の流派と聴かれたら・・・
真っ先に思い浮かぶのが
上 田 宗 箇 流
先週・・・ 今、広島市中区にある ひろしま美術館 で開催されている・・・
生誕450年記念 上 田 宗 箇 武家茶人の世界展
・・・に行ってきました!!
一番槍を担うほどの勇猛な武将にして茶人
茶を嗜むだけでなく 自ら、茶杓を削り、作陶まで行っています。
これが、手慰みではないんですね・・・
彼のの作陶になる茶碗 「さても」 は名品として知られていますが、
茶碗の良し悪しが分からないような私でも
一見しただけで惹かれるほどの、個性と輝きを放っていました・・・
あ~ これが、そうなんだぁ~~♪
・・・って しばらく眺めていました。
感動でしたね~!!
思わず・・・ 頬が緩むのが、宗箇所用の
茶碗 「ひろしま」
その名のとおり、お茶を飲み終えた時・・・
茶碗の底に ひろしま の文字が浮かびあがります。
茶席に招かれた客分も、思わず頬を緩めたことでしょうね!
ひろしま ・・・の生みの親にして、名付け親であり、広島城を築城し、
その発展の基礎を築いた 毛利 輝元 は、
間もなく関ヶ原の合戦に敗れ この地を追われましたが、
その名は後に残っていく・・・
国敗れて山河あり
もって瞑すべし・・・ という気持ちだったのでしょうね。
この茶碗を見た瞬間、私にはそのように感じられました。
尾張の出身で、浅野家に従って広島に居を移し、
当地に身を埋めた宗箇の、広島に対する愛着を伺わせる一品です。
往時の人としては珍しい、88歳まで生きた上田宗箇ですが、
この年の4月10日・・・次男である重安が44歳で無くなると、
自ら20日に渡って食を断ち、5月1日に死去。
遺言により・・・ 骨は鉄槌で砕かれ、
早瀬の海に流された・・・ とされています。
時に・・・ 一編の物語のように思えることのある、人の人生ですが、
上田宗箇の人生こそ、正にそうだったのではないか!?
・・・と思えてきます。
作庭にも名を残していて、
名古屋城二の丸、広島城の縮景園は彼の作庭になるもの。
万能ですねぇ~~!
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